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認知症との境界線

認知症と「普通」との、ぼんやりと重なり合う部分集合のような微妙な領域に生きている、うちの父親。
そんなダディに関する、少し前の仰天エピソード。

もうすぐ90の父親に、まだ生き残っている友人は数少ない。
今年のはじめにもまた、そのひとりが亡くなられたそうだ。


父「奴は、生きてる間は人の役に立てなかったから、せめて死んだら役に立ちたいと思って、献体をしたんだそうだ」

俺「すばらしい心がけだね。私にはたぶん無理だわ…。死因は何だったの? お気の毒に…」

父「だから、献体したんだよ」

俺「……。献体は亡くなった後の話だからさ。死因の病気の名前とか、なんで亡くなられてしまったのか、奥さまに聞かなかったの?」

父「だからそれは、大学のために献体したんだよ」

母親と俺「だからお父さん!それは死んだ後のことでしょう!!」


どうも父親は、死因は友人の自発的な献体であり、献体とは、まだ生きている人間が決意して、薬などで安楽死させてもらって行うものだ(!)といった認識でいたらしい。

先方の奥さまも、一体どういう説明をしたのだか…。
亡くなられた経緯の説明の中で、父親の脳には献体の印象だけが強烈に残り、死因のくだりはまったく記憶されなかったのだろうか。

それにしても、献体と言ったら死んだ後の話だということくらい、JK(常識的にかんg略)わかってるものではないか。

認知症って、こういう理解力も破壊されていくものなのかしら…。
なんだか怖い~…(;´Д`)

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