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死にたいとはやっぱり思わない

今年、人生ではじめて、消えてしまいたい、いなくなりたいと思った。
新選組!の記事でも書いたけど、あたしは死を絶対的なネガティブとしてとらえてるので、自分はウツ症状を持病として持ってても、自殺だけはしない自信があったんだけどね。
でも、いなくなりたい瞬間っていうのが、何度かあった。今年は。
あぁ、そうか、自分だってちょっとしたきっかけで簡単に死んじゃうかもしれないんだな、と怖くなったよ。

でもまぁ、よく考えたら、消えることやいなくなることと「死ぬこと」は違うってことに気づいた。
あたしは消えたかったり、いなくなりたかったりはするけど、やっぱり絶対死にたくはないんだ。

いなくなりたいと思う瞬間とか、そういう「絶望的な時間」には、自分を価値のない人間と感じ、誰からも必要とされてないと確信する。
病気(婦人科のほう)のために、「バリバリ働いてる人たち」から置いていかれる感じがするときや、実際に仕事を減らし、経済的に困窮してきたときとかに、とくにそういう思考のスパイラルに入り込む。
動けない人、働けない人は、社会に捨て去られる運命なんだよな…と思った途端、あたしは居てもしょうがない存在か…と感じて、ショックでブルブル震え、すごい勢いで顔から血が引き(マヂで流れを感じる)、後頭部の地肌が汗でビッショリになる。

とかいろんなこと言いつつ、基本が甘えん坊なので、動ける人、働ける人たちに甘えて、相手してもらいながらなんとか生きてるけどね。
今日も焼肉たらふく食って、いっぱいカラオケ歌ってきた。
とても幸せだ。

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健康と病気」カテゴリの記事

コメント

やはり、そういう時は誰にでもあるんだね(無い人もいらっしゃるかとは思いますが)。

あたしも、自分は存在していなくてもいい人間だと思う時は時々ある。それでも死にたいとは思ったことは今のところない。

そういや、アウトドア用&非常用に七輪買おうかと思ってたんだが、ここ数年、自殺用アイテムになってしまったので、買いに行くとそういう人と思われるのが嫌で、買わずにいる(´・ω・`)

>しんとうさん
>>(無い人もいらっしゃるかとは思いますが)

あたしはここまで危機的なのは、これまで「無い人」だったよ。この歳で今年がはじめてだ。
ウツ暦は9年くらいになるが、それでもこんなにヤバくなったことはなかったよ。
やっぱり、婦人科の持病が悪化したことのダメージが非常に大きい。

今はまだ、ひたすら1日中布団をかぶって震えていれば、そういう気持ちも次第に遠ざかってくれる。
でも、もし実際に何かアクションを起こしかけたりしたら、もう心療内科にはお世話になれない。精神科に転院だな。

私も始めてでしたね。そう思ったの。
居なくなる=死ぬことと一瞬思いましたが、それは違う事であることも理解しました。
実は、実行(そこまで大げさではない)しようとしたのですよ。何気なく車の通ってない車道のど真ん中に立ち止まって空を眺めてた。このまま轢かれたらどーなるんだろうとは頭の片隅に入れて。その時来たトラックの兄ちゃんに「あぶねーんだよ!」と叫ばれて、我に返った瞬間思ったのは、「あの部屋を片付けないでは死ねない。」でした>爆笑。その後「親より早くは死んだらダメだろう」というような、事を色々と思いました。
死ぬことはダメです。そして「よしこ」さんには私が居て欲しいので居なくなってはダメです。よろしく

>アブさま
高いところとか、なんだか簡単に死ねる気持ちになりそうで危険だよね。ちょっとまたげばいいんだから。
でもやっぱり、死ぬことの現実を思い出すと、自分に都合よく思い描いてる「死」とは相当違うわけです。

仕方ないから、布団をかぶって1日をやり過ごし、社会からいなくなっている。
ていうか、そういう日は「自分が世の中にいるという状態」になってしまうのが怖くて、布団から絶対出られない。
なぜそこまで気持ちが追い詰められるのか、自分でも全然理解できず、したがってまぎれも無くこれは「病気」なんだなと。
落ち込みとか性格とかでなく。

肝心のことを書き忘れました。
>>私が居て欲しいので居なくなってはダメです。よろしく
過分なお言葉、痛み入ります。
消えたつもりになることはあっても、結局は「ココ」にいるはずですよ、いつでも。

ウツ暦9年ていうのは、私にはきっと想像できないナ。。。
多分耐えられないと思ぉ。
察することしかできなくて申し訳ないけれど、
よしこさんは私にとても大切な人です。
「死にたいとはやっぱり思わない」と思っていてほしい。

今年の2月位までは
―引用―
病気(婦人科のほう)のために、「バリバリ働いてる人たち」から(中略)
あたしは居てもしょうがない存在か…と感じて、ショックでブルブル震え、すごい勢いで顔から血が引き(マヂで流れを感じる)、後頭部の地肌が汗でビッショリになる。
―引用終り―
そんなでした。>自分
精神科には去年の夏位までしかかからなかったけれど。
(脳外科経由いきなり精神科だったから、比較的短期間だったし)
情けない自分に腹も立って「薬でなく、何とか根性で治したいんですけど」
と医者に馬鹿な事を言って「根性で病気が治ったら医者は要らないでしょう。ウツという病気がある事を認識して下さい」
と、あっさり打ちのめされてきましたヨ。
私の場合実際退院後1年近く家の中ですら全くの能無しでしたし、
病気以前から周りに居る人達にとっては心配の種ではあっても役に立つことなんて何もありませんから、どうしてあの時あっさり死ななかったのか?というテーマは、いまだにチョロチョロとフラッシュバックします。
こんな事をここで言うのも場違いですが、今は生かされている事にとにかく感謝しています。
根がちゃらんぽらんなので、生きてるうちにいつか人様の役に立つこともあるかもしれないし、ないかもしれない。
誰にも期待されてないのなら、とことんマイペースでぽちぽちっていうのもありかもしれないと。。。
それすらも今の所はできてないですけどね(^^;)

自分をおおいに甘やかして、頼れる人には頼って、頼られた場合はこたえられるようできるだけがんばって。もちつもたれつやっていこー。私はそうやって生きていきたい。なのでこれからも力かしてね。よろしくなりん

>ネコさん
あたしのウツ暦は「鬱病」という病名のつくものではなく、心身症とかの範疇のウツ症状であり、一般には自律神経失調症とかといわれるものです。
だから、9年のうち5年くらいは眠剤以外の薬は飲んでないし、数ヶ月に1度心療内科に行って、雑談して帰ってくるだけの感じ。
それが、今年はいろいろあって、いろんな薬を試しながら状況を見てます。
「自律神経失調症」という病名については、別記事で書こうと思います。

「死んでたかもしれない」という体験をした人は、「生かされてる」ということに格別な思いがあると思います。
でも、死の危機にある人がいたら、無条件で「こっち側」に引き戻そうと必死になるのが人間です。そのとき必死になった人間は、危機にあった人が生還して生きててくれれば、そのことだけで救われます。
ネコさんは、「あの時あっさり死なずに」今生きてることで、あの時助けようとした人たちに大きな光を与えてるんだと思います。

>う。
う。さまが本当はもろいってことも知りつつも、仕切ってもらっちゃうとついつい頼りっぱなしになってしまうよ。
すまん。

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